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7月2日は「谷川岳の日」

7月2日は「谷川岳の日」

みなかみ町のシンボルである谷川岳を県内外にアピールしようと、みなかみ町では日本記念日協会に「7月2日:谷川岳の日」として登録申請し、2011年3月14日に認定された。

7月2日を「谷川岳の日」としたのは、近代登山として記録に残っている谷川岳の初登頂が1920年(大正9年)7月2日であったことに由来する。
記録には、「1920年(大正9年)7月1日、日本山岳会の藤島敏男・森喬の2名が、土樽の案内人・剣持政吉を伴い、かつて土樽から入山。仙ノ倉山に至り、三ノ沢に下降。翌日の7月2日に矢場尾根から茂倉岳・谷川岳に至り、天神峠から谷川温泉に下った」と残されている。

「谷川岳の日」記念日登録証は「谷川岳山岳資料館」に掲示されている。
「谷川岳の日」制定に当たっては、当時谷川岳山岳資料館館長の八木原國明氏が以下のように以下のように記しておられるので掲載させていただく。

   谷川岳の日は、数年前からみなかみ町の有志の中では制定しようという意見はあったが、大きな盛り上がりにはならず、今日に至った。しかし、全県的観光PR大作戦が展開される『群馬ディストネーション・キャンペーン』が2011年7月1日から9月末までの3ヶ月間県内全域で繰り広げられる。
  また、2011年は清水トンネルが貫通し、上越線が前線開通した1931年(昭和6年)9月1日からちょうど80年の記念の年にもなる。
  温泉への入り込み客の減少に悩むみなかみ町もこれを機に観光客を呼び込もうとあれこれとアイデア、イベントが検討されていた。その中で浮上してきたのが「谷川岳の日」の制定であった。
  2010年9月、谷川岳関連事業事前打ち合わせ懇談会が土合の谷川岳山岳資料館で催され、水上山岳会、ガイド協会、観光協会、商工会、町観光商工課、JR、ロープウエイなどの有志が参加し、いかに水上を、谷川岳を盛り上げて行くかを相談する。その中の目玉的なものが「谷川岳の日」制定であった。
 
  「何月の何日」にするかは記念日が定着するか否かの最重要な問題である。「国際山の日(12月11日)」の不定着は全世界一斉という 、季節、気候などが正反対になる地球全体の話のためにもうひとつ定着させることは出来なかった。小さな日本であってもその中の群馬県であっても多くの登山愛好者が「山登り」をしやすい、自然の中に行きたい思うシーズンでなければならない。そこで有力な案として提案されたのが7月2日であった。
 
  (2010年のはなしであったため)「今からちょうど90年前(1920年)の7月2日に登山のための登山として、近代登山史上の正式な記録として残されているものが、日本山岳会の藤島敏男と森喬による土樽から茂倉岳に上り、一ノ倉岳、谷川岳と縦走し、天神尾根から谷川温泉へ下った記録がある」として候補筆頭となる。
  しかし、7月第一日曜日が谷川岳の山開きであるため、記念日の印象が薄くなってしまうのではないか、という心配もありさまざまな意見が出された。いや7年に1度は「谷川岳の日」と山開きが一緒になる。その年はおおいに盛り上げられよう。そして7月1日から7日までを「谷川岳ウィーク」としていろいろなイベントを考えれば良いということになる。(注記:2011年以降は谷川岳の日を含む1週間で、谷川岳山開きを最終日とする1週間を谷川岳ウィークとして実施している)
 
  こうして、「谷川岳の日は7月2日」として日本記念日協会へ申請し、2011年3月に認定されたものである。みなかみ町が中心になって進めるイベントではあるが、山岳連盟共々、新潟県関係者とも連携をとることを確認した。
 
                  谷川岳山岳資料館 八木原 國明 

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